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2018年05月29日

【コラム】二重性と後ろめたさの先に―<TAG>通信[映像版]を通して― 清水雅人

 忙しさにかまけて、やりたいことをなかなかやり切れてない<TAG>だが、そんな中なんとか2016年のリニューアル以来続けてこられたのが<TAG>通信[映像版]だ。これは、<TAG>発起人の石黒秀和氏と私がホストになって、豊田の文化芸術に関わるゲストを毎月お呼びしお話を聞き、その映像をノーカットで公開しているもの。
 そもそもは、「お近づきのしるしにちょっと一杯飲みますか」なんて時に伺う話を記録しておきたい、せっかくだからみなさんに公開しようという軽い気持ちで始めた企画だが、なんとか2年を迎えようとしている。ゲストも20組を数えた。
 ここまで続けてこられたのも、ひとえに様々なジャンルで活躍する人の話を聞くのは楽しい、ということに尽きるが、特にゲストの生い立ち、現在の活動等に繋がるまでの経歴等をお聴きする中で、自分のこれまでの人生(というと大げさだが)も振り返る機会にもなって、そういう意味でも楽しい。
 今回は、そんな中で感じたことの1つをまとめてみたい。

 いつの回だったか忘れたが、一緒にホストを務める石黒秀和氏(氏と私は1969年生まれの同い年である)の「小さい頃、トヨタ自動車だけには入りたくないと思っていた」という発言がとても印象的に頭の中に残っている。
 それまでの回でも、「日本の文化がこれほど世界に発信されるとは思わなかった」「アメリカやイギリスの音楽こそが目標だった」等々、演劇や音楽の歴史について、ゲストに聞いたり、自分の過去を振り返る中で私自身感じたり発言してきたが、石黒氏の発言には深く頷かせられた。
 そう、私も若い頃は、豊田という田舎を早く出たいと思っていたし、トヨタ自動車には入りたくないと思っていたのだ。
 だが、そこを定点として自分のこれまでを俯瞰的に見てみると、すべてが二重性を帯びていることに気づく。若い頃は東京に行きたいと思っていたが現在はこの豊田という地方都市で活動することこそに意味を見出している、若い頃はアイドル音楽を下に見ていたが現在はアイドルにこそポップスの普遍性を感じている、若い頃は漫画やアニメをバカにしていてが(本当は大好きだったのだが)こんなにも世界に発信するジャンルになるとは思ってもいなかった、などあげればキリがないが、私はこの二重性の中に今もあり、薄々ながら後ろめたい、昔は逆のことを思っていたのに、という気持ちをずっと持っている。
 これは、世代的なものなのかもしれない。私が10代の頃までは、日本の文化芸術(特にエンターテイメントの分野は)が世界に評価されることはまれだったし、日本の車や電化製品は世界で売れ始めていたが日本製はすべてモノマネだと言われて、そこに誇りは感じられなかった。私たちの世代の子供の頃は、まだ戦後は終わってなく、アメリカに犯された(アメリカのすべてに憧れた)最後の世代なのかもしれない。
 しかし、同時にすべてを世代論で片づけてしまうのも危険なのだろう。これまでの20組のゲストの中で、昔から地元にいることに意味を見出しブレてない人もいたし、自然に地元にずっといた人もいるし、逆に外を目指した人もいたし、外で敗れて戻ってきたことを糧にしている人もいた。そこに世代論が当てはまらない場合も多々あった。

 ここで言いたいのは世代論ではない。ふと思ったのは、しかし、この二重性/後ろめたさこそが、私たちの強みなのではないかと。私たちというのは、私と石黒氏のことだ。氏と直接、この二重性について後ろめたさについて話したことはないが、きっと同じ思いを持ってきているのだと思う。
 間違っていたことも多かった。それを忘れてはならないと思う。自明のもの、当たり前と思うことも疑ってみる、逆から見てみる、違う見方をしてみる。20年後どうなっているか、世界の日本ブームはすっかり終わっているのかもしれない、社会はもっと悪くなっていることを想像しがちだが、もしかしたらよくなっていくのかもしれない、国家というシステムは崩壊しているかもしれないが、代わりに都市という範囲で多くのものが循環しつつ、直接世界と繋がっているかもしれない。
 <TAG>通信[映像版]で、色んな人の話を聞くことで、いろんな視点、考え方があることを知ることができるのは本当に楽しい。当たり前で変えようがないと思っていること、できないと思っていることをひっくり返してみる、疑ってみる、試してみる。
 <TAG>自体もそういう転換ができないか、地域の文化芸術の情報の流通の在り方をひっくり返せないか、というところから始まっている。  <TAG>通信[映像版]は、豊田の戦後文化史(特にホストの2人が生きてきた昭和40年代以降)を知ることができるという面もあり、記録としても貴重だと思っている。現在はあたりまえのように感じていることが、20年前30年前はそうでもなかったということを知る、思い出すこともある。
 もうしばらくは、この挑戦を見守って、お付き合いいただけるとありがたい。

清水雅人
映像作家・プロデューサー。<TAG>発起人。映画製作団体M.I.F.元代表。映画製作の他にも、小坂本町一丁目映画祭運営、豊田ご当地アイドルStar☆Tプロデュ―スなどを手掛ける。


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Posted by <TAG>事務局 at 16:16│Comments(0)コラム
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