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2016年08月24日

【コラム】<TAG>通信[映像版]第2回「豊田は本当に音楽不毛の地なのか/ゲスト正木隆氏」要約と所感 清水雅人

 1時間超の映像を見る時間を割くのが難しい方のために、<TAG>通信[映像版]の要約をお送りするシリーズの第2弾、今回は豊田の音楽をテーマに正木隆氏に話を聞いた。
すべてを要約できてませんので、どうぞ<TAG>通信[映像版]もご覧ください → https://www.youtube.com/channel/UCIjZssyxVzbc1yNkQSSW-Hg

豊田の音楽の歴史 70年代後半~80年代
 正木氏に1970年代後半からの豊田の音楽の歴史(ここでは、ロックポップスに限定する いわゆるバンドライブ史を中心に)を聞いた。正木氏がバンド活動を始めた70年代末頃、豊田市内でアマチュアバンド・ソロがステージに立つ一番身近な場所は、YAMAHAが主催するコンテストだったという。当時ミッドランドというコンテストがあり、豊田、岡崎、刈谷など各市で開催され、そこを勝ち抜くと名古屋での東海大会、そして全国大会へ進むことになる。豊田では、中央公民館(現在の視聴覚ライブラリー駐車場にあった)か愛知県勤労福祉会館のホールで開催されていた。ここでは、オリジナル曲を1~2曲披露する。それでも毎回20~30組ほどのバンド等が出演していたようだ。

 YAMAHAはポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)も主催しており、数多くのアーティストを輩出した。地元からは、アラジンというバンドが「完全無欠のロックンローラー」で全国グランプリを受賞たこともあり、レコードもヒットもした。東海地区からは多くのアーティストが全国に羽ばたいていった。ポプコンは、80年代末より、アマチュアバンドコンテストBAND EXPLOSIONやTEENS' MUSIC FESTIVALに引き継がれていく(一応現在もコンテストは続いているようだ)。
 これらは各市にあるYAMAHA特約の楽器店が開催していた(豊田は名曲堂、岡崎は大衆堂、刈谷はロッキンなど)。楽器販売やスタジオがあり、またアマチュアミュージシャンあがりのお兄さんが楽器店で働くというパターンもあって、楽器店が学生などのアマチュアバンドたちの拠点、たまり場のようになっていた。アラジンの高原兄氏がふらっと楽器店に顔を出すなんてこともよくあった光景だったようだ。
 筆者も恥ずかしながら高校生時代バンドをやっていたが、80年代後半頃にもまだそのような状況はあった。上記のようなコンテスト以外にも楽器店が主催して出演バンドを募って中央公民館等で開催するライブが年に数回はあり、700席あった観客席が結構埋まっていた記憶がある。

 正木氏は、自分は70年代末以降しか知らないが、それ以前はフォークで同じような状況があったのではないかと推測する。その1つとして豊田市民音楽祭の存在があるようだ。豊田市民音楽祭については、正木氏が調べても詳しいことが不明なのだが、そもそもは豊田市民演劇祭(前回ゲストの岡田隆弘氏がその存在を話している)と対で始まったのではないかとのこと。行政主導で始まり、コンテストではなかったようだが、正木氏がこの頃出演した時の写真を見ると、第15回との看板が写っており、すでに歴史があったことが伺える。

 また、その頃、豊田市内にライブハウスがちらほらとできていたという。スナックを改装したような小さな店が多かったが、出演者オーディションを行い、ライブハウス主催のライブを開催していた。

豊田の音楽の歴史 80年代末~90年代
 そして、全国的には、ビートロック・ビートパンク系(BOØWYなど)の隆盛とイカ天(「いかすバンド天国」というテレビ番組)のヒットなどにより空前のバンドブームが巻き起こる。豊田でも、豊田市駅周辺が再開発され(そごうの開店)、豊田都市開発を中心にジョイカルウェーブが立ち上がり、とよたミュージックバトルを開催(このバンドコンテストは賞金が出ることが話題だったようだ)、また、中京テレビの企画で始まったロックフェス「GO! GO!ROCK」「LOVE ROCKS」がこの頃名古屋開催を追われ、白浜公演等で開催している。
 しかし、90年代後半、バンドブームの終焉により、一気にこれらも衰退していく。

 これは、前回の演劇テーマでも出た話題だが、ちょうど2000年前後に1つの節目がどのジャンルでも起こっていることがわかる。考えてみれば、戦後から高度成長期~バブル景気~バブルの崩壊で、いわゆる“戦後”が終わったという社会的な節目が、文化面にも影響したと見るのが自然だろう。90年代~00年代の失われた10年(又は20年)が、経済だけでなく、社会全体、日本人のアイディンティティに大きな変化をもたらしていて、その混乱は現在もまだ続いていると見るべきなのだろう。

 豊田の音楽に目を向ければ、コンテストを中心としたライブ発表の場があり、主に楽器店がアマチュアバンド・アーティストのサロン的な役割を担っていた時代が確かにあったが、その場所が継続的なライブができるライブハウス等に展開するまでには至らず(ライブハウス的な場所はできてはいたが長く続く店はなかった。豊田周辺では岡崎のカムホールが長く継続しているライブハウスの稀有な例ではないか)、バンドブームの終焉とともに、バンドコンテスト・ライブや楽器店サロンは消滅(または知った者同士でこじんまりと開催、サークル化)していった。

00年代以降~現在
 2000年以降の豊田の音楽シーンを語る上で、TURTLE ISLAND(タートルアイランド)を抜くことはできないだろう。彼らは豊田をベースにしながら、日本的アジア的な土着ミュージックとパンクなどを融合した音楽で世界中に活躍の場を広げていたが、「世界中で演奏をしている自分たちが地元豊田でやる場所がない」という想いから、「ないなら作ろう」と動き始める。そして、その思いは、様々な試行錯誤ののち、トヨタロックフェスティバル、世界橋の下音楽祭へと繋がっていく。
 正木氏は、彼らが中学時代に楽器店のスタジオに練習に来ていた頃を知っていて、これらのイベントでお互い「何やってるんだ?」と再会したと言う。
 トヨタロックフェスティバル、世界橋の下音楽祭は全国的にも大きなフェスに成長している。また、最近では、TURTLE ISLAND(タートルアイランド)は、豊田市まちなかのコンテンツニシマチという空き家利用事業で拠点を作ったり、豊田市駅前でイベント開催するなど、より市民に密着した活動を展開している。

豊田の音楽のこれからと課題
 正木氏は、豊田の音楽の現状について、上を見ると、TURTLE ISLAND(タートルアイランド)たちの活動で、全国のトップクラスの音楽、面白い音楽を豊田で聞く機会は増えている、下を見ると、小さなお店等でアマチュアが演奏できる場所もそこそこある。しかし、例えば、俺たちもトヨタロックフェスに出たい、と思った時に、じゃあどうしたらいいのかわからないだろう、と話す。トヨタロックフェスの運営会議等でも、地元のバンドを出演させたい、でも誰がいるの?となってしまう、とのこと。
 どうやったらトヨタロックフェスに出れるのか?答えは簡単で、ライブを重ねて、クオリティを上げて、ファンを増やしていって・・・ということになるのだが、それをやっていく場所は現在の豊田にはないのが現状だ。
 だが、これは豊田だけの問題ではなく、全国的な問題のようだ。70年代後半からたくさん出現したライブハウスは、自主興行をメインに(ライブハウス自体が企画したライブ)展開していたが、現在はほぼ自主興行はなく、貸ホール化(お金を出せばだれでも使用できる)してしまっていると正木氏は言う。自主興行では、どのようなグループのどのようなライブを展開して集客するかというプロデュースが必要であり、それは必然的に1つのシーンを作っていくことになるが、貸ホール化ではそれは望めないのは確かだ。
 正木氏は、そんな状況にくさびを打つ意味もこめて、豊田市民音楽祭を復活させて開催している。出演バンドを募集すると毎回50~60組ものバンドが応募してくるそうだ。
 
 “豊田は本当に音楽不毛の地なのか” そんなことはない、というのが回答だろう。音楽をやっている人、楽しみたいと思っている人は豊田にもたくさんいる。様々な歴史もあり、トヨタロックフェスも橋の下世界音楽祭もある。だが、それらの人々やイベントを繋ぐような拠点は、まだできあがっていないと言える。それは、単純に場所がないということではなく、プロデュースもしていく拠点が必要だと感じるし、それは1か所でなくてもいい。

 正木氏は、音楽をやっていこうという若者に、意識を変えて欲しいとも訴える。例えば、豊田市民音楽祭では出演者にチケット販売を割り当てるが、売らないか、売れないならせめて配ればいいのにと思うがそれもしないのが現状だと言う。それに比べると、TURTLE ISLANDは橋の下世界音楽祭で、あっちにもこっちにも出ずっぱりで、とにかく音楽やりたい、出たい、魅せたいというあの熱量はすごい、と話す。
 場所がないから人が育たないのか、人が育たないから場所ができないのか、、、はニワトリとタマゴの堂々巡りだが、できない理由を挙げているだけでは前に進まない。模範解答をすれば、場所と人は同時に育っていくものだと思う。
 CDが売れない時代と言われて久しい。しかし、ライブ動員は増えているようで、生の演奏を楽しむという流れができつつあることは、地域での音楽シーンには追い風なのだと思う。
 例えば、筆者はご当地アイドルStar☆Tを運営し、駅前でのライブを定期的に行っているが、いわゆる地元のミュージシャンたちとのつながりはほぼないに等しい。今回の対談をして、これから、何か繋がれることをしていきたいと思った。
 行政が主導するあそべるとよたプロジェクト(豊田まちなかのスペースを窓口を1つにして利用できる事業)で、まちなか地域でのライブ開催の機会が増えているとも感じる。また、エフエムとよたなどの地域メディアももっと地元の音楽シーンにコミットしてほしいとも思う。
 これらが複合的につながって、豊田の音楽シーンが形成されていくことをせつに願っている。

※映像版ではここにはおさまりきらないいろんな話をしているので、お時間があればぜひ映像版をご覧ください
こちら → https://youtu.be/sUpbNChWeyo

正木 隆(まさきたかし) 
音楽プロデュ―サ―、音響オペレーター。豊田市出身・在住。1963年生。学生時代からバンド活動を開始し、豊田、名古屋にて活動。その後市内楽器店に勤務。1997年独立し、(有)まさき起業、以降豊田市内をはじめ東海地域のイベントの音響を数多く手掛ける。イベント音響以外にも、豊田市民音楽祭の運営、豊田ご当地アイドルStar☆T楽曲プロデュース、演劇音楽制作などにも携わる。豊田市民音楽祭副実行委員長、トヨタロックフェスティバル実行委員、とよた演劇アカデミー実行委員。

清水雅人
映像作家・プロデューサー。<TAG>発起人。映画製作団体M.I.F.元代表。映画製作の他にも、小坂本町一丁目映画祭運営、豊田ご当地アイドルStar☆Tプロデュ―スなどを手掛ける。


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