› <TAG>Toyota Art Gene › 2013年12月22日

2013年12月22日

【コラム】2013私的徒然日記 石黒秀和

2013年が間もなく終わる。10年一昔と言うが、その10年前を思い出すと2003年はとよた市民野外劇を上演した年だった。
出演者総数3000名。観客15000名。楽しさより苦労の方が記憶に残っている事業だが、その経験は今の僕に少なからぬ影響を与えている。

そんな野外劇から10年目に、期せずして豊田市美術館で朗読野外劇が上演できたのは今更ながら運命だったなと勝手に思っている。
出演者総数25名。観客(公称)500名。規模こそまったく違うが、10年前にはなかった満足感を今回は得ることが出来た。リベンジ、という言葉はちょっと違うかもしれないが、なんだかようやく野外劇から卒業できた、そんな気がしている。

さて、そんな今年の最後に、駅前のお寺で短編映画の上映会を行った。さゆみ企画と銘打ったこの企画は、まさにその名のもととなった一人の女性の思いつきから始まった。
ある日突然、携帯のメールに「映画撮ってみませんか?」との誘いが送られて来、良く分からないまま指定日にサイゼリアに出向くと、これまた良く分からない顔して座っている男女数名。とりあえずドリンクバーを注文し、なんとなく話し出し、気づけば月一回程度やはりサイゼリアに集まってはドリンクバーを注文して話して・・・そして夏から秋にかけ4本の短編映画が出来上がってしまった。
僕を含め内3名は初監督作品。なんとも、出来ちゃうのである。そしてつながっちゃうのである。もちろん完成した作品のクオリティは申し分なし・・・とは自身の作品をとってもとても言えないが、この企画はそれが目的ではない。誰もが映画を撮ることで街を再発見し新たな文化を創り出す。そう、誰でも、がこの企画のミソ。始まりは、たった一人の気楽な思いつき。次は、再開発の決まった駅前北地区を舞台に少し大きな規模で実施予定。個の思いが街に広がる試みにぜひご期待下さい。

野外劇以降、とよた実験劇場、とよた演劇アカデミー、そして短編演劇バトルT-1、、TOCと、今につながる活動を立て続けに起こしたがいずれも目的は人材育成とこの街の演劇文化の活性化。
一方、この街での自身の作・演出活動は減った・・・と言えなくもなく、少々の苦言や、時にはもう筆は折ったの? なんて言われることもあるのですが、実は小さい事は色々やってるんですよ。むしろ忙しさは10年前の倍以上。ただ、10年前のようなあんな大きなことには、正直、今は興味ないのですが・・・。

ここんところ演劇と街づくりの融合に興味がある、とは前にも書いた事だが、先月、知立でそんな思いを具現化した公演を観ることができた。そこには、外部の有能なアーティストと地元のプロデューサーがしっかりタッグを組んだ姿が見え大いに学ばせてもらった。豊田市もこども創造劇場をはじめ外部の有能なアーティストが活躍する機会も現れてはいるが、地元のプロデュース力の欠如は歪めない。市のデカスプロジェクトも来年度から本格実施。しかし、その成功には、市や文化振興財団はもちろん、我々市民の力も試されていると改めて自覚したい。文化の公共化は、新たな責任を我々市民にも課し、そして、ともに汗を流して創りだす情熱と才能を必要としている。

話はあちこち飛んで申し訳ないが、10年前の野外劇で思い出したことがある。当初、その計画は、10年。主人公である10歳の少年が、20歳になるまでの過程を、まさに豊田市民みんなで見守り育てていく、そんな内容になればいいなと構想し、基本市も同意し(と僕は勝手に思っているのだが)翌年、僕は第2章の台本も書いた。ただ、結果は2006年にまったく別の内容で上演され、その後、リーマンショックの影響もあったのか野外劇そのものが立ち消え今に至っているわけだが、あのまま、少年の成長を追う10年を過ごしていたら、少年は、そしてこの街の文化はどう変わっていたのか? もしもにすがってもしょうがないのだが、きっと何かが変わっていた・・・
とここまで書いて、フと思ったことがある。あの少年は、結局僕だったのではないか? 育てるつもりが、育ててもらった。この10年間。そう考えると・・・。

2023年。一体僕は何を回想できるのか? 大人としての第一歩が、また始まります。


石黒秀和
劇作家・演出家。富良野塾にて倉本聰氏に師事後、豊田市において豊田市民劇、豊田市民野外劇、とよた演劇アカデミー等の事業他、多数の演劇の作・演出を手掛ける。TOC(Toyota Original Company)代表。  

Posted by <TAG>事務局 at 10:00Comments(0)コラム