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2016年07月23日

【コラム】<TAG>通信[映像版]第1回「豊田の演劇 歴史と展望/ゲスト岡田隆弘氏」要約と所感 清水雅人

はじめに
 <TAG>をリニューアルした目的の1つに<TAG>通信[映像版]をやりたいというものがあった。これは、豊田の演劇・映像・音楽・アートその他面白そうなことで毎回テーマを設定し、ゲストをお呼びしてゆっくりお話しを聞くというものだ。お聞きした話を文字起こしするのはとても労力がかかるし、会話のニュアンスも大切だと思ったので、ノーカットで映像でお伝えしようという企画だ。
 第1回は豊田の演劇をテーマにした。発起人の石黒氏から豊田演劇の生き字引である演出家の岡田隆弘氏に声をかけてもらった。
 岡田氏からは、想像以上の面白い話がたくさん聞けたが、第1回目ということもあり、収録を終えてから、あれも聞けばよかった、これも聞けばよかった、もっとちゃんと話をまとめればよかった、等々自分では反省しきりになってしまった。
 また、映像はニュアンスを伝えられるところは大きなメリットだが、時間をかけて見て(聞いて)もらうことを強いなければならない。1時間超の時間を割くのが難しい方のために、文章による要約(まとめ)と少しの所感も提供できればと思い、今回のコラムとなった。

豊田の演劇の歴史
 岡田氏に、まずは豊田の戦後演劇史を聞いた。岡田氏は、ご自身が関わられた公演をすべて記録されていて、その全貌をお聞きすることができた。そこでまず驚いたのが、その歴史の分厚さである(筆者も石黒氏も自分たちが関わる以前にこれほどの歴史があることを知らなかった)。
 それは、1965年の劇団「105」からはじまり(それ以前には青年団による演劇祭もあったという)、1972年からの豊田演劇集団、そして1990年からの劇団スペース21へと続く。そこには、本公演のみならず、子供を対象とした子供劇場やアトリエ公演、派生公演など、毎年大小さまざまな公演があったようだ。
 さらに、記録を見ると、三島由紀夫にはじまり、つかこうへいや別所実、北村想や鴻上尚史など、同時代的な作家の演目を取り上げていたことがわかる。そこでは、いかにいい芝居をするかという熱いディスカッションが起こっていた様が想像できる。

 1992年、岡田氏が長年関わりを持ってきた豊田市文化協会との新しい企画として、とよた市民創作劇場が始まる。その第2回目で作演出に声がかかったのが、当時富良野塾(脚本家倉本聰氏が設立した私塾)を卒業したばかりで、郷里豊田に戻っていた石黒氏で、氏は市民創作劇場に、その最後まで約10年間かかわることになる。市民創作劇場は、毎年出演者を市民から募集し、約半年をかけて演劇公演を行うもので、応募には多い時で70~80人、公演は、3公演1,000~1,500人を集客していたという。
 そして、市民創作劇場の常連出演者を中心に、岡田氏が劇団ドラマスタジオを設立する。ドラマスタジオは現在も続く。

 市民創作劇場の後、岡田氏と石黒氏は2度のとよた市民野外劇に、プロデュ―サ―と作演出としてかかわる。市民野外劇は、1回目は2003年に豊田北高校前の広場、2回目は2006年に豊田スタジアム内にて開催され、市民数千人が参加する壮大なものだった。
 石黒氏は、市民野外劇を振り返り「意義はあったと思うが、何も残らなかった」と語る。乱暴に総括してしまうと、市民野外劇は、豊田の演劇史での、“戦後”の終わり、“高度成長”の終わりの節目だったのではないかと思う。

 とよた市民野外劇が終わった後、石黒氏は岡田氏に相談し、人材育成が必要だとの認識で一致し、2007年、とよた演劇アカデミーを立ち上げる(設立~1年目に筆者は実行委員として参加した)。とよた演劇アカデミーは、1年間の前半で演劇を学び、後半で演劇公演を作り上げるカリキュラムを行っており、2016年で第9期、これまでに数百人の修了生を輩出している。

豊田の演劇の現在
 豊田の演劇の現在は、今や老舗劇団であるドラマスタジオと、演劇アカデミーの終了生が設立した劇団が中心になっている。演劇アカデミー修了生劇団はほぼ毎期作られている。2011年には、修了生各期劇団の公演機会の場として石黒氏を中心にT-1とよた演劇バトルが始まった。これは、約30分の短編演劇を複数劇団が公演し、観客の投票でグランプリ劇団を決めるというもので、5回を数えた。後半にはアカデミー修了生劇団以外、県外の劇団参加もあった。T-1は2015年で終了し、2016年にはT-1を引き継ぐとよた演劇祭が開催されようとしている。これは、石黒氏の手を離れ、アカデミー修了生たち自身で運営されている。

豊田の演劇のこれから
 収録後半では、岡田氏と石黒氏に、豊田の演劇のこれからへの期待と課題を聞いた。
 岡田氏は、いい芝居を作るためにもっとぶつかり合って欲しい、と語る。また、芝居をしやすい箱が豊田にはない、とも言う。石黒氏も共通した認識を持っていて、石黒氏は、近年、いわゆるホール以外を演劇の場として率先して選択してきた。
 石黒氏は、いい劇作家が育ってきている、とも語る。片手に収まらない人数の作家が育ってきていると。岡田氏は付け加えて、そこにいい演出家が育ってほしいと語る。また、劇団、公演をプランニングしていくプロデュ―サ―も育ってほしいと。
 石黒氏は、演劇人材が増えてきていることを受け、ディスカッションする場として豊田の演劇の協会を立ち上げる準備しているところだと明かしてくれた。

 豊田の演劇は、2000年代初頭に“戦後”を終えて、現在は第2期のまだ黎明期と言えるかもしれない。演劇アカデミー修了生劇団は、まだまだ継続的な本公演を打ててはいない。まずは、良質な本公演やユニット公演、プロデュース公演などをとにかくたくさん、継続的に開催していって欲しいと筆者は思う。豊田の劇団として、名古屋そして全国に打って出て欲しいし、それは決して夢物語ではないし、少なくとも常に外を向いて欲しいと思う。

 最後に石黒氏は、実は、とよた演劇アカデミーを立ち上げて以降、ちゃんと作演出をしてないんだよね、と漏らした。筆者は、石黒氏が、全力投球する芝居、作演出に専念して、役者に全力をぶつけた芝居を観たいと要望した。岡田氏も、ぜひやろうと乗ってくれた。これだけでも、今回の収録の意義があったかと思う。

 これからの豊田の演劇に期待をしたい。
※映像版ではここにはおさまりきらないいろんな話をしているので、お時間があればぜひ映像版をご覧ください
こちら → https://youtu.be/yLk-GPesbT0

清水雅人
映像作家・プロデューサー。<TAG>発起人。映画製作団体M.I.F.元代表。映画製作の他にも、小坂本町一丁目映画祭運営、豊田ご当地アイドルStar☆Tプロデュ―スなどを手掛ける。


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